数学 「将棋とコンピュータ」 
            〜読書案内(2)〜
 NO.15 

98.8.13作成

 今回もまた「将棋と卓球と数学の部屋」に関連のある本を紹介していきたいと思います。

将棋をコンピュータの分野から研究した本―。

 「将棋とコンピュータ」 松原 仁 著

(注)本の中で将棋に関する内容を引用させて頂きます。

◆序文

 「負けました」。そう言って人間の名人が投了しました。相手はコンピュータのHITOCHANです。将来このようなことが起こるのでしょうか。それとも永久に起きないのでしょうか。いまの将棋のプログラムがアマチュア初段にも負けるということからすれば、永久に名人には勝てないようにも思えます。でも科学技術が進歩すれば、いつかは人間を追い抜く日がくるような気もします。まったくの夢物語ではありません。将棋に似たチェスというゲームがありますが、チェスのプログラムはとても強く、最強のプログラムに勝てる人間は世界中でも100人を切るといわれています。近いうちに世界チャンピオンにも勝つのではないかと期待されているほどです。また、将棋の終盤だけを抜きだした詰め将棋というパズルがありますが、詰め将棋を解く力は、もうすでに人間のプロ棋士を越えているのです。

 チェスはもうすぐコンピュータのほうが人間より強くなります。人工知能の例題としての役割を終えつつあるのです。チェスの次は将棋です。チェスのプログラムを強くするには、人工知能の過去の研究成果が役に立ちました。将棋のプログラムを強くできるかどうかは、人工知能のこれからの研究成果にかかっていると言えるでしょう。私は人工知能の研究者で、将棋のプログラムを研究しています。

1994年6月   

◆1章 将棋の数学的性質

1.将棋必勝法

 将棋の神様が2人で将棋を指そうとしているとしましょう。振り駒で先手と後手を決めた段階で、1手も指さないうちに神様の1人が「負けました」と言って頭を下げました。四コマ漫画によく出てくる冗談です。でもじつは単なる冗談ではないのです。もしかりに将棋の神様が2人いたとすれば、先手と後手が決まったときにたしかに勝負はついているのです。

 将棋には必勝法があります。世の中には「ゲームの理論」という研究分野が存在します。数学や経済学などいろいろな専門分野が交わったものです。この中身の話をすると長くなりますしむずかしくなるので省きますが、そのゲームの理論の教えるところによると、 「2人零和有限確定完全情報ゲームには必勝法が存在する」ということになっています。将棋はこの「2人・零和・有限・確定・完全情報」という長ったらしい形容詞を満足するゲームなので、 数学的には必勝法が存在することになるのです。

 「2人」ゲームとは、文字どおり2人でするゲームのことです。たとえば、麻雀は(ふつう)4人ゲームで、トランプのババ抜きはn人(nは2以上)のゲームということになります。 零和ゲームとは、一方が勝ったらもう一方は負けになり、一方が負けたらもう一方が勝ちになるようなゲームのことです。一方の勝ちともう一方の負けを加えると零になるという意味で「零和」といいます。 いつかはかならず終わるゲームを、有限ゲームといいます。将棋は以前の千日手のルールでは理論的に有限ゲームとはいえなかったのです(このことはあとで説明します)が、いまのルールなら有限ゲームです。囲碁は理論的には厳密には無限につづく可能性があります。人間が対局していれば、その人が亡くなるときには終わりますから現実には有限です。オセロはかならず60手(8×8−4)で終わる有限ゲームです。

 ゲームには、偶然的な要素がはいるものとはいらないものがあります。偶然性とは、すごろくやバックギャモンのようにサイコロを振って次の手が決まる、といったものです。これらのゲームは運不運によって勝敗が左右されます。将棋には偶然的な要素はありません(先手になるか後手になるかはここでいう偶然には含めません)。ビギナーズラックなどなく、ミスをしない限り強いほうが勝ちます。偶然的な要素のはいらないゲームのことを、むずかしくは「確定」ゲームといいます。 また、ゲームにはプレーヤーにすべての情報が与えられているものといないものとがあります。たとえば、軍人将棋ではたがいに相手にわからないように駒を配置し、敵に情報を隠しています。多くのトランプのゲームも手の内は敵に隠しています。これらのゲームでは、プレーヤーにすべての情報が与えられていないのです。プレーヤーにすべての情報が与えられるゲームを、むずかしくは「完全情報ゲーム」といいます。ゲームで先を読むのに必要な情報が、すべてのプレーヤーにわかっているという意味です。

 ながながと説明してきましたが、「2人」かつ「零和」かつ「有限」かつ「確定」かつ「完全情報」のゲームは、理論的に、先手必勝か、後手必勝か、(両者が最善をつくすと)引き分けるか、の3つのうちのいずれかであることがわかっています。将棋は2人零和有限確定完全情報ゲームです。すなわち、現在の盤面が完全に見えて、味方の持ち駒も相手の持ち駒もつねにわかっています。将棋は先手必勝・後手必勝・引き分け、という3つの可能性のうちのどれかなのです。したがって、将棋の神様が2人いれば、先手後手が決まった瞬間に勝負は決まっていることになるのです。


 場所によってよび方は異なりますが、○×(まるばつ)とか三目並べとよばれているゲームがあります(英語ではTic−Tac−Toeとよびます)。

     
     
     

図のような3×3=9個のますを用意します。2人ゲームで、順番に先手は○、後手は×をまだ空いているますに書きこんでいきます。縦か横か斜めかに3つ○が並べば先手の勝ち、×が3つ並べば後手の勝ち、どちらも3つ並べられずに9個のますが埋まれば引き分けというルールです。これは「2人」「零和」「有限」「確定」「完全情報」ゲームなので、必勝法が存在することになります。読者の多くはご存知のことと思いますが、このゲームは両者が最善をつくすと引き分けに終わります。最善手は宿題としておきましょう。


 ○×はともかく、将棋に必勝法が存在することは、心情的に納得しがたいかもしれません。納得してもらうために、ミニ将棋をいくつか考えてみましょう。駒の動きは(玉しか出てきませんが)本物の将棋とおなじです。この将棋は敵の玉を取ったら勝ちとします。

1×3の盤にたがいに玉しかいない図のようなミニ将棋があったとします。

先手の1手目はパスできないので、玉を1つ前に動かすしかありません。後手が2手目に先手の玉を取って後手の勝ちとなります。これ以外の可能性はありえませんから、1×3の将棋は後手必勝ということになります。

次に1つ広げて1×4の将棋にしてみましょう。(図参照)

先手は1手目に玉を1つ前に動かします。後手も2手目に玉を1つ前に出すしかありません。先手が3手目に後手の玉を取って先手の勝ちとなります。これ以外の可能性はないので、1×4の将棋は先手必勝です。

さらにもう1つ広げて1×5の将棋にしてみましょう。(図参照)

先手は1手目に玉を1つ前に動かします。後手も2手目に玉を1つ前に動かします。先手は3手目に2通りの手があります。前に玉を動かすと、次に後手に玉を取られて負けてしまいます。したがって、後ろに玉を下げるしかありません。後手の4手目も2通りの手があります。後ろに玉を下げると最初の局面に戻ってしまいます。それでも別に悪くありませんが、勝機を逃します。正解は前に玉を動かす手です。先手の5手目は玉を前に出すしかありません。後手が6手目に先手の玉を取って後手の勝ちです。いくつか手の選択の余地はありますが、先手が最善をつくしても後手も最善をつくせばかならず後手が勝つ、という意味で1×5将棋は後手必勝です。

きりがないのでこれ以上くわしくは説明しませんが、1×6や1×7のミニ将棋はどちらの勝ちか読んでみてください。後手・先手・後手ときたので、1×6は先手の必勝でしょうか。正解だけをいいますと、1×6は先手の必勝で、1×7は後手の必勝です。さらにいえば、1×nのミニ将棋は、nが偶数のときは先手必勝で、奇数のときは後手必勝になります。


 本物の将棋とミニ将棋とでは複雑さがかけ離れていますが、話は基本的にはおなじなのです。先手・後手とも最善をつくせば、そのどちらかは絶対に負けないのです。プロの対局結果の統計を取ってみると、最近は先手の勝率が53パーセント程度で、後手の勝率が47パーセント程度と先手がかなり勝ち越しています。戦形を選べるとか、勝率が高いなどの理由で先手番を望む対局者がほとんどですが、はたして将棋が先手必勝なのかどうかはわかりません。私の個人的な勘では、両者が最善をつくせば双方入玉による持将棋で、引き分けとなるのではないかと思っています。

 亡くなった芹沢博文八段の書いた随筆のなかに、将棋の必勝法の話が出てきます。そこには、「もし、将棋に必勝法が出来るとプロ棋士はいらなくなってしまうと心配する人もいるようですが、もしそうなってもルールをちょっとだけ変えて、たとえば、香車は1回だけは後ろに下がれるとすると、おそらく定跡の大半が変わってしまうわけですから、必勝法が出来ても何の心配もありません」と書いてあります。必勝法がわかっているゲームは、戦ってもおもしろくないのはたしかです。○×も小さな子供はともかく、大人はプレーしません。あとで述べるように、先手になんの制限もつけない五目並べも先手必勝であることがわかっているので、ちょっと勉強したプレーヤーは、もうそのルールではプレーしません。将棋の必勝法が判明してしまったら、将棋を指す人はおそらくほとんどいなくなってしまうでしょう。プロ棋士の商売はあがったりだ、と心配する気持ちもわからないでもありません。しかし、心配することはありません。将棋の必勝法はそうは簡単に判明しません。

 たしかに将棋は理論的に必勝法が存在するわけですが、その必勝法が具体的にどのような手順なのかについては数学は何も教えてくれません。将棋は場合の数が非常に多いゲームです。すべての可能性をつくすには、10の200乗の手を読む必要があるといわれています。10の200乗とは途方もなく大きな数です。現在最も強いチェスのプログラムは、1秒間に1000000000=10の9乗もの手を読むことができますが、このコンピュータを使っても10の200乗手を読むにはざっと10の184乗年もかかってしまうのです。人類はおろか、地球もこんなに長くは存続しないでしょう。これからもコンピュータはどんどん速くなっていくでしょうが、とても将棋の必勝法がまともに解析できるとは思えません。チェスの場合の数は10の120乗といわれています。将棋よりはかなり小さいですが、チェスにしても必勝法を求めるのは夢物語です。オセロの場合の数は10の60乗、チェッカーの場合の数は10の20乗と将棋やチェスに比べてはるかに小さくなります。このチェッカーですら、まだ必勝法は判明していないのです(ようやく必勝法を求める研究が始まったばかりです)。将棋やチェスの場合の数は、宇宙全体の原子の数より多いのです。将棋は安泰であることがおわかりでしょう。未来永劫にわたって必勝法は決して解明できないとまでは断言できませんが、ほとんどその可能性はないでしょう。プロ棋士の生活の糧であり、将棋ファンの楽しみの対象である将棋は、これからもずっと必勝法のわからないゲームとして生き残ります。将棋ファンの1人として私もうれしく思います。

 

 まだ1章の1でほんのさわりだけですが、紙面の関係で、以下省略します。コンピュータの知識がなくてもわかりやすく、なかなか興味深い内容でした。くわしくは、本を買って読んで下さい。


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