厚木西高校卓球部通信 No. 298 2007. 1. 5

今日から練習開始

 明けましておめでとう。2007年、今年もよろしく。
 さあ、今日から練習開始です。力を付けるには練習するしかない。1日1日の積み重ねを大切に。地道な努力があれば、飛躍のチャンスが訪れますから。

大切なのは、苦しいときに我慢できるかどうかなんです

「プロ論3」より抜粋 〜プロ野球 岩村明憲選手〜

  1997年、ドラフト2位でヤクルトスワローズに入団。走攻守そろった3
  塁手として活躍し、スワローズの主力打者に成長。日本が初代王者になった
  ワールドベースボールクラシックでも活躍した。だが、必ずしも日の当たる
  道ばかりを歩んできたわけではない。高校時代は、夢の甲子園出場も果たせ
  なかった。

プロ選手の技術に、実は大きな差はない

 今でも悔しいんですよ。強豪校は、1日5、6時間練習するんですが、僕らも同じくらい厳しい練習をしていた。本当に頑張っていた。やっぱりみんなで甲子園に行きたかったんですよね。これには悔いがあります。
 当時の僕は全日本の高校選抜で4番を打っていたこともあって、大学や社会人チームからも話がきていました。いきなりプロに行くんじゃなくて、段階を踏んで力をつけてからの方がいいんじゃないかという周りの声もありました。でも、僕は大学に行くよりも、たとえ二軍にいてもプロで教わった方が早いと思ったんです。だから、4年の下積み覚悟でのプロ入りでした。
 もちろん、プロでやれる自信がなければ、この世界には入りません。でも、ゴールデンルーキーといわれて入ってくる選手は数人。僕はそこには入っていないと自覚していました。ただ、いつかはそういう選手を追い抜き、大輪の花を咲かせることで、僕を指名してくれた人たちに恩返ししよう。ドラフトで指名された日の夜から、ずっとそう思っていました。
 2年間は二軍にいましたが、1年目にイースタンリーグ(二軍リーグ)で打率2位になり、2年目に一度だけ一軍に呼ばれたことがあったんです。5月末、いきなりのスタメン起用でした。ところが緊張でガチガチ。3打席ノーヒット、エラーもして7回で交代。この後、二軍行きを命じられて、このシーズン、一軍に呼ばれることはありませんでした。悔しかった。この経験は後の大きなバネになります。
 この年、イースタンリーグで本塁打王になったんですが、秋季キャンプ、翌年の春季キャンプ、オープン戦と、もう必死でした。何とか次のチャンスを手にしたい。その一心です。
 若さもあった。細かなことは気にせずに勢いだけで前に進んでいけた。毎日、試合に出られるようになっても、「3割打つだけで満足していちゃダメだ」といつも自分に言い聞かせていました。「もっともっと上を目指そう。3割は最低線だ」と。
 どんなピッチャーでも、一人の打者に対して必ず1球は失投するんです。それを見逃したらまず打てない。そのために、どうするか。何より打席の中でゆとりを持つことが求められます。そうすれば、厳しいボールは見逃したり、ファウルで逃げられる。
 野球選手は、技術はほとんどみんな同じレベルなんです。あとはメンタルな部分が左右する。いかに平常心を保てるか。気持ちを切り替えられるか。冷静になれるか。
 大事なのは、苦しいときに我慢することです。その我慢が、精神力を鍛えてくれる。メンタルを強くしてくれる。そうやって、少しずつ打席でゆとりが持てるようになっていった。そして、成績も、上がっていったんです。

  その後、すっかり一軍に定着、2002年には初めて打率が3割を超え、ベ
  ストナイン、ゴールデングラブ賞も受賞した。ところが翌年、アクシデント
  が彼を襲う。なんと、開幕戦で手首を骨折してしまうのだ。

人は一人では絶対に生きていけない

 そもそも人は一人では生きていけない。去年亡くなった母に教わった言葉です。両親のおかげで僕は野球ができた。今もたくさんの人たちのサポートがあって、野球ができている。たくさんの人のおかげで、今の自分がある。絶対に忘れてはいけないことだと思っています。