| 卓球 年齢を括弧に入れてみる 〜今日から練習開始〜 |
NO.124 |
2005.1.4作成
今日から仕事始め。卓球部の練習も、今日から練習開始しました。練習から遠ざかっていると、久々の練習は
気持ちいいですね。いつもこんな感じならいいんですが。目標を持って、いつも新鮮な気持ちで取り組めたらと
思っています。
先日、将棋の谷川浩司棋王の「無為の力」(河合隼雄、谷川浩司、PHP)という本を読みました。私自身の卓球
にも通じる部分があったので、少し紹介したいと思います。
「年齢を括弧に入れてみる」とは ― 河合
年齢ごとに大切なことといえば、孔子さんの『論語』の言葉が有名ですね。
吾れ十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順う。
七十にして心の欲する所に従いて矩を踰えず。
これはすごくはっきりしていて、すごいと思います。けれども、僕はそんなに年齢によって分けて考えるということ
はしていません。
僕の考えでは、人間というのは小さい時でも相当成熟した知恵を持っている一面がありますし、逆に歳を取っても
幼い部分を多分に持っているものです。僕なんかまだまだ若気の至りもしょっちゅうあって、若い連中に負けずに
怒鳴り回ったりしてますからね(笑)。人間というのは、そういういろんな側面をいっぱい抱えていて、その中で各
年代ごとにふさわしい性格がわりと前面に出てくるということじゃないでしょうか。
ですから僕はあまり年齢にはこだわりません。まあ、ただ長く生きていればいろいろなことをやってきた中で、
やはり経験が蓄積されていきますから、そのいい部分を活かしていくことを考えたほうがいいような気がしますけど
ね。
確かに、若い時には体力もあるし集中力もあります。いざという時に馬鹿力が出せるような瞬発力もあります。
もちろん記憶力も、何かを丸暗記するような機械的記憶力について言えば、頂点は十五、六歳ぐらいじゃないです
か。その後は、年齢とともに落ちていきますね。
しかし一方で、年齢を重ねて経験を蓄積していく中で培われるものも強いですね。ですから、経験の蓄積という
ものの強さと、若さが持つ体力とか集中力とか瞬発力といったものが交差する接点があるわけです。それをうまく
調節して、歳を取ることのマイナス面を、経験を重ねることで得られるプラス面でカバーしていくことが大切なんだ
ろうと思いますね。
さっきも言いましたように、昔だったら年齢が上だというだけでかなり得をしてたんですよ。それが今はもうなく
なってきている。ですからよけいに知恵が必要です。
ひとつ僕は思うんですが、年齢が上がっていった時に、自分から「歳がいったからもういい」などと思ってしまった
ら駄目ですね。そう思うことで、自分で自分を駄目にしてしまうわけですよ。
これはあちらこちらに書きましたけど、僕はフルートが好きで、学生時代に吹いていていっぺんやめたのを、
58歳からまた始めたわけです。今でも先生について習ってるんですよ。
そうすると、吹きたい曲がありますね。でも、「この曲を吹きたいけど、もうこの年齢では指がついていけないから
無理かな」なんて思うと、これはもう絶対無理なんです。そう思ってやっている限り、どんなに練習しても駄目です
ね。
それで、そう思うのをやめることにしたんですよ。自分はもう歳だとか思わない。そうすると、それなりに吹ける
ようになるんです。だから、もう歳だから駄目だろうといったことを初めから思わない。それでもって、やっぱり駄目
だったら歳のせいにすればいい(笑)。そういうふうに気持ちを変えただけで、けっこうテンポの速い曲でも指が
ついていくんですね。それはすごく面白かったです。
それを僕は、本の中で「年齢を括弧に入れる」と書きました(『ココロの止まり木』朝日新聞社)。つまり、年齢を
無視するんじゃないんです。時々無視する人もいますよね。「俺は歳なんか関係ない!」と言って若い者と同じこと
をしようとして、はたの者に迷惑をかけてる(笑)。そうじゃなくて、ちょっと括弧に入れておくんです。75歳という
年齢は括弧に入れておいて、やりたいことを一応やってみる。それで失敗したら括弧を外して、やっぱり駄目
だったかと後で思えばいい。初めから75歳だと思うのはやめようと、この頃悟りを開いたんですけどね(笑)。
アメリカのメジャーリーグを見ていますと、日本人に比べてアメリカ人のほうがプロ野球の選手でも相当な年齢
まで現役でプレーする人が多いでしょ。あれは、日本では周囲の人が早くから年齢のことを言い過ぎるからだと
思います。その点アメリカ人は、年齢なんかあまり関係なく「俺はやりたいんだ」という気持ちでやってると思うん
ですね。そうすると、相当な歳まで現役でいける。もちろんそれでも限界はあるわけですが、日本人のように自分で
先に限界の設定をしてしまうのとは違いますね。
子どもに教えることで、自分の客観的な姿が見えてくる ― 谷川
そうですね。でも今仰ったように、本当に子どもに教えるというのは、自分の姿が見えてくるということでもあります
ね。
私もやっぱり、小さい子どもたちと将棋を指すことによって、教えられるっていうことはすごく多いですね。彼らの
ほうが純粋ですから、将棋を本当に楽しそうに指しています。プロになると、どうしても勝負に生活がかかって
いますし、「あいつに負けたら嫌だな」というような邪念が入ってくるんですけどもね。そういう時に子どもたちと
接すると、ああ、自分も昔は彼らのように本当に将棋が好きで好きでたまらない子どもだったんだな、ということを
改めて感じることがあります。
そもそも大人は、子育て子育てと偉そうなことを言いますけども、今はだいたい子どもは1人か2人ですから、
ほとんどの親にとっても初めての経験なわけですからね。むしろ子どもから教わるとか、子どもに育てられることの
ほうが大きいのではないかと思います。
将棋の棋士というのは家にいる時間が比較的長いですので、私も子どもと接する機会がサラリーマンの方より
多いのは、すごくよかったと思うんですよね。やっぱり子どもと接していると新しい発見もありますし、子どもと
接することで、自分が子どもの時はこういうふうな感じだったのかな、ということを思い出したり、忘れてしまっている
ことを想像することができますので。