卓球 「気づかせて動かす」 
            〜教育とコーチング〜
 NO.126 

2005.2.6作成

 卓球以外のスポーツでも、一流の人に教えられることがたくさんあります。先日、インターネットのアマゾンで

本を探していたところ、ラグビーで昔テレビドラマにもなった「スクール・ウォーズ」のモデルの師弟コンビ、

山口良治・平尾誠二さんの「気づかせて動かす 熱情と理のマネジメント」(PHP)という本を見つけました。

指導していく上で、大変参考になったので、少し紹介したいと思います。


教育とコーチング

山口  いまは平尾も指導者と呼ばれる立場になったわけだけど、イギリスに行くと、バスのことを「コーチ」という
    じゃない?どうしてコーチというのかわからなかったんだけど、あれは「目的地まで運ぶ」という意味があると
    いうことを聞いたんだ。つまり、勝利とか優勝という目標に向かって導いてやるのがコーチの役目。その
    意味では平尾と僕の立場は一緒だと思う。ただ、コーチングというのは、本当に身近なところにある目標を
    達成すること、つまり短期間で結果が求められるのに対して、教育というのは非常に期間が長いわけ。そう
    いう違いはあるのかなとは思うね。
     子どもは生まれたとき、とてもかわいがられるだろう。やっぱり、それだけ期待されて、成長を望まれて
    いるんだと思うんだけど、ぼくら教育にたずさわる人間に必要なことは、成長の過程において、子どもをそう
    した期待に応えられる人間になれるようにしてやることなんだよ。幼児期、小学校、中学校、高校と段階は
    いろいろあるけれど、最終的に周りの人に喜んでもらえるような人間になれるよう、つなげていってやること
    なんだと思う。いま教えていることは、そのまますぐ明日役立つということではないかもしれない。けれども、
    「あれは、こういうことだったんだ」と気がつくときが必ずくる。長い人生を歩んでいくなかで、「あのとき、あの
    先生にこう言われた、こんなことで怒られたなあ」という思い出とともに、「あの頃の自分はあんなだったけれ
    ども、あのとき、あの先生に言われたひと言のおかげでこうなれたんだなあ」とふり返って思えるようなもの
    を、たくさん残してやることが教育なんじゃないかなと思うんだ。
     やっぱり、ひとりひとりがやがては社会を構成していくわけだから、はっきりとした目的意識をもった生活が
    できるようになれるかということは非常に大きい。目標のないところに努力はない。だから、子どもたちに、
    どんな目標を、どんな夢をもたせてやれるかということが、教育ではとても大事なことなんだ。もちろん、
    コーチだって、期間を決められて、そのなかで結果を出さなければいけないという意味では、非常に厳しいと
    思うけどね。

平尾  ぼくは教育の現場に立ったことのない人間ですから、うまく比較はできないですけれども、たしかにコーチ
    のほうが目的が明確ですね。時間を規定されたなかで、目標、目的地まで届けることがコーチの役目。
    でも、教育というのは、いま先生がおっしゃったように、生まれてから死ぬまでの期間すべてが教育になって
    くるわけですね。そうすると、何が目的かということが明確に見えにくくなる。逆に言えば、しっかり目標とか
    目的を自分で定めることができる個人をつくることこそが教育なのかなと思うけど、そういう目先の目的が
    見えにくい状況のなかで、しっかりした人格をつくってやるということは、とてもむずかしいだろうなという気が
    します。
     たとえば、神戸製鋼ラグビー部なんていうのは、もうはじめから日本一という目標が暗黙の了解となって
    いる。だから、それに興味のない連中は入ってこないし、まったく能力のない人間もいないわけです。「おれ
    は適当にやってもいいや」という奴が入ってくることって、ありえないでしょう。その意味では比較的やりやす
    いというところはありますね。これに対して、学校のなかのスポーツは、目標を達成するということに加えて、
    教育的配慮というものが必要じゃないですか。ダメな人間を排除してしまうのではなく、なんとかして高めて
    いかなければならない。そういうことは、われわれのなかではあまり必要ではないことでしょうから。

指導者に大切なのは「自分で気づくようにしむけてやる」こと

山口  ただ、絶対に共通していることがある。それは「気づかせる」ということ。
     これまでの話をふり返ってみても、やっぱり自分のなかで「気づく」ということがその人間の成長のために
    は本当に大事なことなんだとあらためて思うね。さっき、ぼくが日体大の合宿で「きついのは自分だけでは
    ない」と気がついて、その後一気にレギュラーになったという話をしたけれど、じつはその前にも大きな
    気づきがあったんだ。
     それは日大に入った頃のことでね。当時のぼくは、地方の子で揉まれていなかったと言ったけれども、
    だからすごい消極的だったんだ。キックの練習をするときは両サイドに分かれて蹴り合いをするんだけど、
    ぼくのところにはボールがなかなか飛んでこなかった。ふたりにボールが一個ずつあるわけじゃないから
    ね。それで、飛んでくるのを待っていた。やっとぼくのところに飛んできたので受けようとしたら、それを横
    からバーンと取っていかれたんだ。「くそお、おれが受けようと思ってるのに」って、本当に腹が立ったんだ
    よ。
     でも、そのときふと気がついたんだ。「そうだ、ただ待っているだけでは、いつまでたってもおれは蹴ること
    ができない。自分から取りにいかなければダメなんだ」とね。それからもう、ぼくはまったく変わったよ。人が
    受けようとしているところにバーッと行って、相手と競い合って、そのボールを取って、蹴る。人の倍ほど取り
    にいったよ。あのとき、「くそお、腹立つな」と思ってふてくされていたら、いつまでたってもぼくはキックが
    うまくならなかっただろうし、積極性も出てこなかっただろうと思う。これはね、人から「自分からちゃんと取り
    にいくんだよ。取り合いをするんだ」と言われても、なかなかできないことなんだ。やっぱり自分で気がつか
    ないと…。あの気づきで、ぼくはキックが好きになって、そのあと日本代表のキッカーにまでなれたんだから
    ね。好きになるということも、自分の気づきのなかから生まれてくるんだよ。
     だから、自分で気づくことがその人間にとって何よりも大事なことであるならば、指導者の側から見れば、
    「気づかせてやる」ことがいちばん重要だということになる。人から言われて気づくとか、怒られて気づくとか
    ということじゃなくて、「自分から気づく」ようにしむけてやらなければならないんだ。そういう場面や出会いを
    どれだけ用意してやれるかということが、指導者には大切なことだと思うね。

気づきは行動のためのすごい原動力になる

平尾  本当にそうですね。この気づきというのは、教育だけでなくて、ビジネスなどすべてのことにあてはまる話だ
    と思います。ぼくも指導者という立場になって、最近いちばん意識することって、そのことです。気づきを与え
    ることって、ものすごく大事ですね。やりかたを指示するとか、「ああせい、こうせい」ということじゃなく、気づ
    かせてやれば、本人がやりかたを考える力はいくらでもあるんですよ。人間はバカじゃないんですから。
    結局、気づきを与えられるかどうかがカギになるんでしょうね。
     高校時代にぼくが練習を休んだときも、家でテレビを見ていて「自分は弱いな」と気づいたわけでしょう。
    そういう気づきがなくて、表向きだけ繕って行動を変えたって、要するに板に付かないし、長続きしない。
    絶対ダメでしょう。気づくことによって継続性が出てくるし、本人が「そうじゃないんだな、こういうことなんだ」
    って考えるようになる。ここが重要なんですよ。そう思えるかどうかが、その人間が成長できるかのポイント
    なんです。気づきというのは、すごい原動力になるんですよ。
     ぼくは努力家だって言ってくれる方が多いんですけど、自分ではまったくそれが努力だとは思っていない。
    たんに自分がやりたいことをやっているだけですから。さきほど先生が言われた「ほかの奴らもしんどいん
    だと気づいたら練習がきつくなくなった」というのも、根性とか精神力と呼ばれるものではないと思うんです。
     根性とか精神力というのは、さらに技術を引き上げるためのひとつの労力だと思うんですよ。根性が
    プレーするんじゃない。ここをぼくは冷静に考えないといけないと思う。根性というものには、非常に科学的
    な根拠があると思った方がいいです。
     たとえば、「あそこでおれがタックルに行けばこのゲームは勝てる」ということが自分のなかでしっかり自覚
    されれば、タックルに行くことなんて全然恐くない。でも、0対100で負けていて、どうあがいたって勝てないと
    いう状況だったら、ゴール前で100キロの奴がグワーッて来たのをタックルに行くことはできないですよ。
    それを「根性なし」と言うこと自体がおかしい。根性というものは、「なぜ、何のためにそれをするのか」という
    ことが自分のなかできちんと自覚されて、はじめて発揮されるものだとぼくは思うんです。たしかに根性は
    ものすごく必要だし、最後の勝負はそれで決まるというのは間違いない。でも、それには自覚が必要なん
    です。
     いま先生が「人から言われたって、なかなかできない」とおっしゃいましたけど、先生だってご自分が気づく
    まえに、ほかの人から「見てみろ、みんなもつらいんだ」って言われたら、それは行動に移すまでの原動力
    にはならなかったと思うんですよ。気づきっていうのは、自分にしかわからない、ある場面の風景がパッと
    変わるような出来事なんです。それで行動がパッと変わる。
     だから、指導者は教え過ぎたらダメなんですよ。気づきを与えるためには…。いろんなことを考え、試し
    ながら、本人が気づくようにしむけて、気づいてくれることを期待する。ぼくが練習休んだときも、もし先生に
    殴られて、無理やり練習をやらされてたら、気がつかなかったかもしれないですね。ただ、そうやって気づか
    せることって、ものすごい忍耐力がいるんですよね。 


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