卓球 「人生、負け勝ち」 
            〜柳本ジャパン〜
 NO.135 

2005.10.15作成

 先日の教職員大会で、気持ちの問題だと改めて感じさせられました。中間テスト前で、部活動もなくなり、少し

時間に余裕が出てきたので、本を読んでみました。卓球以外のスポーツですが、バレーボール全日本女子監督の

柳本監督が書かれた「人生、負け勝ち」という本を見つけました。勉強になったので、そのまえがきだけ紹介したい

と思います。


勝負は負け勝ち

 勝負哲学は負け、勝ちだ。
 人生も同じだった。勝ち負けではない、負けが最初、そう負け勝ちなのだ。
 バレーボールでも、社会生活でも、勝つことは大切だけれど、負けたときにどうするかというのはもっと大切な
ことだ。勝っているとき、必ず「負ける芽」を育んでいる。そして負けの中には次につながる「勝ちの芽」がある。
勝ちは負けの隣にいるのだ。
 でも、当事者はえてしてそのことに気がつかない。落ち込んだとき、よく他人のせいにしたりする。それがいけ
ない。そのとき、よしっ、できることだけでもやろう、と思えるかどうかだ。
 負けや挫折のあとに、それを打破しようと、どう前に一歩踏み込むか、ということではないか。
 たとえば、気持ちだけ切り替えて、あいさつだけでもしようとか、元気よく家の玄関を出るとか。そのちょっとした
瞬間から、状況は変わってくる。実はそれで勝ちに、少しずつ近づいていくわけだ。
 私は、順風満帆のバレーボール人生を歩んできたわけではない。東洋紡の女子バレーボール部を日本一にした
あと、突然の廃部に見舞われたこともある。
 いわゆるリストラというやつだった。企業戦略のひとつとして、理解はできても、なかなか納得はできなかった。
 私は柳本だから、逆風でも、柳の葉がさーっと流れるときもあれば、枝がボキッと折れるような激しいときもある。
でもリストラのときは、本当に木の幹からボキッと折れたような感じだった。
 燃え尽き症候群みたいなものだった。
 全国を3〜4ヵ月かけて走り回って、チームの選手全員の引き受け先を探した。
 戦のしんがりみたいに、選手たちをなんとかしてやらないといけないと必死だった。
 みんながうまくいって、全員の落ち着き先が決まった瞬間、ふと何をやってもむなしい気分になった。バレー
ボールやってても同じだよなと、そんな妙な精神状態に落ち込んだ。
 そんなときには酒を飲んでも面白くない。たまに楽しいときがあったとしても、一人になったら不安になる。じっと
黙って、一人でいるのがとても怖かった。
 だから、トイレに入ってもなぜか息苦しくなったりした。マンションのエレベーターに乗ったら、胸がしめつけられる
ような気分になった。脈が速くなって、冷や汗をかいた。
 まあ、いいことは考えない。ごはんを食べてもおいしくない、何をしても一緒だった。憂鬱だった。
 女房に言わせると、自分の人生って何だったんだろうってよく漏らしたらしい。東洋紡でバレーボール人生を終わ
ろうと思っていたのに、と愚痴ってもいたらしい。
 一種の躁鬱の鬱の状態だったのだろう。マンションの屋上にのぼって、景色を眺めていたら、「飛び降りたら楽に
なるよな」とふと思ったりした。あれっ、今まで、こんなこと考えたことなかったのに、と自分で驚いたことがある。
そういう経験をした。いわば負けの状態だったのだろう。
 そんなとき、女房に誘われて、那智山から寺社めぐりを始めた。近畿にも、四国に八十八ヵ所めぐりのように
三十三ヵ所めぐりという寺社めぐりがあって、那智山から回っていく。
 途中、いろいろな老夫婦に出会った。けんかをしたり、互いに手を引きながら仲良く歩いていたり。そういう熟年
のカップルを見ながら、私も女房と寺社を回った。
 つらいときには、お香の香りとか、お寺の雰囲気が妙に心にしみた。本殿で手を合わせたら、何もしないのに、
気持ちがすーっと落ち着いた。
 原点に戻ったのだろう。
 自分はバレーボールとともに成長し、幸せになってきたんだから、バレーボール界に恩返しをすればいいのだと
思った。
 じっとしているのはよくない。体を動かさなければいけないと、全日本ジュニアの練習を手伝うことにした。
 そうこうしているうちに、全日本監督の話が舞い込んできた。あとで詳しく書くが、そのとき、強い全日本を取り
戻すことが自分の使命だと思った。寺めぐりをして一発勝負してみるかという気持ちにもなっていった。バレー
ボール界への恩返しのつもりだった。
 最近、よく思うが、私はバレーボールがとことん好きだ。選手やファン、多くの人々の笑顔に出会いたくて、苦しい
練習をしてきたのだと思う。
 アテネ・オリンピックは結局、5位だった。期待外れという人もいるし、健闘したと評価してくれる人もいる。自分と
しては達成感がある。メダルに手が届くところまできていた。もちろん、もう少しだったなという気持ちは否めない
けれど。でもどん底だったチームがメダルを本気でとりにいったのだから、再建はなったと思っている。
 メダルをとれなかった理由はいくつかある。ひと言でいえば「時間」と「経験」が足りなかった。誤算もあった。
 ご存知のように、柳本ジャパンは一試合ごとに強くなってきた。でもアテネではそれができなかった。初戦の
ブラジルに負け、崖っ縁を歩いてしまった。
 ただ、アテネ五輪の経験は次につながる。やはり勝負は「負け勝ち」、そういうことなのだ。


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