卓球 「強気の人・弱気の人」
            〜自分のために楽しんで〜
 NO.148 

2005.12.31作成

 最近、「強気の人・弱気の人」(加藤諦三著、三笠書房)という本を読みました。タイトルからして、精神面のヒント

となると思ったからです。その中から、参考になった部分を少し紹介したいと思います。


自分のために楽しんでウイニング・ラン


 かくて日本のスポーツ選手は、日本の期待を背負ってオリンピックでコチコチになり、ベノイトは自分のために
走り、走ることを楽しみ、そして星条旗を持ってスタジアムをウイニング・ランすることになるのではないか。
 自分のために走る人が、結果としてもっとも人びとの期待を満足させる。

 ”日本のため”というとき、2つの意味がある。ひとつはその人が日本という国に住む人びとに心理的に依存して
いるとき、もうひとつは日本を愛しているとき。日本の期待を背負ってコチコチになる人は、日本を愛している人
ではなく、日本に心理的に依存している人である。
 ”日本のため”といってコチコチになるのは日本を愛しているのではなく、日本人に認めてもらいたいということで
あろう。日本人に評価されることをとおして、自分を評価するという日本への依存性にほかならない。
 自分の達成したもので自分を評価できるまで自律性を獲得した人は、日本の期待からストレスで力がまったく
出せない、ということはないであろう。
 三段跳びでオリンピックに優勝した、日本陸上競技連盟名誉会長の織田幹雄氏が次のように書いている。
サラエボの冬季オリンピックのことである。
 「黒岩選手がサラエボで500メートルのスタートを切って走り出したところをテレビで見ていて、脚の動きがいつも
と違い、前に早く引き出されていないと思った。
 これは緊張して動きを悪くし、失敗するなと想像したがその通りとなった。
 反って自分のことより考えなかったという北沢選手が二位入賞していて、競技に臨む二人の心の持ち方の違い
だと思った」(「スリーエル」No.29)
 当時の日本は、黒岩選手への期待で湧きかえっていた。黒岩選手と北沢選手のプレッシャーの違いもある
だろう。しかしそれにしても、選手に対する側も異常なのではなかろうか。あれだけ期待されて騒がれれば、
ストレスは強まる。
 ではなぜ、あそこまで私たちは関係する者の優勝を期待するのだろうか。それは私たちが自分で自分を信用し、
信頼していないからではなかろうか。私たちが自分の満足のために選手に期待するから、期待は異常な強さを
持つのではなかろうか。
 自分を信用し、信頼できない者が自分の満足のために関係者の優勝を異常に期待する。そしてその期待を
かなえられるかどうかで、自分で自分に対する評価を決めてしまう依存性の高い選手が重圧感に苦しむ。そして
力を発揮できない。これが実態ではなかろうか。
 スポーツ・ジャーナリストの佐藤亘氏が「プレッシャーとの戦い」というエッセイのなかで、あるゴルファーについて
書いている。
 彼はプロになれなかった一人のアシスタントプロである。素質は申し分なかったらしい。しかし彼が24歳のとき、
目が悪いことがわかって、あるベテランプロにプロになることをあきらめさせられる。そのベテランプロ増田光彦氏
は、やめる決心をした彼と最後のお別れゴルフをする。
 そのときの増田プロの述懐である。
 「その時いっしょにまわって、ぼくはこの男がどうしてプロテストに合格しなかったのか不思議でしようがなかった。
ドライバーもアプローチもビシビシ決まって、なまじっかなプロではとても太刀打ちできないようなゴルフだった。…
まったく別人のゴルフだった。
 ぼくはその時つくづく思ったのは、いかにプレッシャーが彼に重くのしかかっていたか、ということ、ゴルフを断念
してゴルフが仕事でなくなった時、初めてプレッシャーから解放されて気楽にプレーできた。その結果が別人の
ようなゴルフになったんだと思った」(「シグネチャー」24巻5号)
 プレッシャーに弱い私には、痛いほどこのゴルファーの気持ちがわかる気がする。そして、やはり人間の資質と
いうのは、プレッシャーに強いか弱いかということによると思う。
 ほんとうのことを知ろうという気迫があれば、人は強くなれる。他人に同調し、ただ嫌われることを恐れてほんとう
のことから目をそらしていては、いつになっても強くなれない。ほんとうのことを知れば、人は強くなれる。ほんとうの
自分を知ろうとすれば、プレッシャーなどに負けない人間になれる。   


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