卓球 神奈川県選手権
   〜「最後は願うもの 41歳の銀メダル」〜
 NO.155 

2006.2.21作成

●2006.2.12(日)  厚木市オープン大会団体戦  荻野運動公園体育館

 3人制の団体戦で、予選リーグの後、順位トーナメントという方式でした。
        1S 2S  3W  4S 5S
   ABC  A  B  B・C  A  C
   XYZ  X  Y  X・Z  Y  Z

OBの落合と3年の小野と私の3人で、厚木西高Eチームで出場しました。結果は、2位トーナメントで準優勝。

予選リーグ
     厚木西高(E)    3対0       成瀬中(K)
  1   落合   ○ 3( 0, 3, 2    )0 ×  斎藤
  2   小野   ○ 3( 0, 6, 3    )0 ×  川崎
  3W 小野・佐藤 ○ 3( 2, 1, 5    )0 × 斎藤・大谷
  4   落合                   川崎
  5   佐藤                   大谷

     厚木西高(E)    1対3       ひつじ会(A)
  1   小野   × 2(-11,6, 4,-11,-5)3 ○  桑田
  2   落合   ○ 3( 5, 8, 6    )0 ×  山崎
  3W 小野・佐藤 × 1( 9,-5,-5,-7  )3 ○ 山崎・宮田
  4   落合   × 1( 7,-6,-13,-4  )3 ○  桑田
  5   佐藤                   宮田

2位トーナメント
 2回戦
     厚木西高(E)    3対1       横浜FTC(A)
  1   落合   ○ 3( 7, 10,9    )0 ×  難波
  2   小野   × 2( 8,-8, 9,-5,-9 )3 ○  山田
  3W 小野・佐藤 ○ 3(-8, 9, 2, 9  )1 × 難波・堀
  4   落合   ○ 3( 6, 2, 6    )0 ×  山田
  5   佐藤                   堀

 3回戦
     厚木西高(E)    3対1       一番搾り
  1   落合   ○ 3( 9, 7,-9,10  )1 ×  馬渕
  2   小野   ○ 3( 9, 7, 3    )0 ×  寺澤
  3W 小野・佐藤 × 0(-4,-5,-4    )3 ○ 馬渕・山田
  4   落合   ○ 3( 2, 5,-9, 1  )1 ×  寺澤
  5   佐藤      (10,      )     山田

 準決勝
     厚木西高(E)    3対0       緑野卓球クラブ
  1   落合   ○ 3( 4, 3,10    )0 ×  渡部
  2   小野   ○ 3( 9, 5,-8,-9, 7 )2 ×  山崎
  3W 小野・佐藤 ○ 3(10, 7, 3    )0 × 渡部・永岡
  4   落合   ○ 3( 4, 4, 6    )0 ×  山崎
  5   佐藤                   永岡

 決勝
     厚木西高(E)    1対3       リコー(A)
  1   落合   × 0(-9,-2,-8    )3 ○  奧
  2   小野   × 0(-9,-12,-9   )3 ○  菊田
  3W 小野・佐藤 ○ 3( 7,-7, 8,10  )1 × 奧・湯元
  4   落合   × 2( 6,-12,-7,7,-8 )3 ○  菊田
  5   佐藤      (-4,      )     湯元


●2006.2.19(日)  神奈川県選手権シングルス  横浜国際プール

一般男子シングルス
 1回戦
    佐藤 × 0(-3,-2,-3    )3 ○ 後藤(國學院大)

 いや〜、何もしないうちに終わってしまいました。負けて悔しい気持ちも起こらず、力の無さを実感しました。

レベルの高い大会だったので、いい勉強になりました。

 先日、アーチェリーの山本選手の本を読みました。あきらめるな!という励ましの言葉が伝わってくるようです。


「最後は願うもの 41歳の銀メダル」   アテネ五輪アーチェリー銀メダリスト 山本 博選手

 アテネオリンピック。多くのアーチェリーの選手たちはパルテノン神殿から吹き下ろす強い風に苦しんで
いました。けれど、私にとってはその風こそが味方でした。
 私には風が見えたのです。その速度、強さ、方向。微妙な揺れまで。
 若いときは、必死で風を読もうとしました。目が衰え、風が以前ほど読めなくなり、限界かと悩んだのは40歳に
近くなったとき。悩みながらも、射ち続けていると、あるとき不意に、風が見えるようになったのです。風と相対する
のではなく、風と一体化するような感覚。あるものを失ったかわりに、それ以上のものを得ることができたのです。
 以来、的と風しか見えなくなりました。まわりの風景も勝ちたいという欲も一切が消えるようになりました。アテネ
でも湖のように静かな心でいることができました。
 最初にメダルをもらったのは、1984年のロサンゼルスオリンピックでした。私は21歳。銅メダルでした。そして
20年後の2004年のアテネオリンピックで、私が得たのは銀メダル。20年のブランクを空けてのメダル獲得は、
長いオリンピックの歴史でも、過去に誰もいません。私は世界で一番あきらめの悪い男ということになります。
 中学生でアーチェリーに出会い、アーチェリーに支えられ、アーチェリーから多くのことを学んできました。
順風満帆のときばかりではありません。ロサンゼルスで銅メダルだった順位は、ソウルで8位、バルセロナ17位、
アトランタ19位、シドニーは出場枠にすら入れない…見事な右肩下がりのカーブを描きました。打ちのめされて、
アーチェリーを持ち上げることができなくなったこともありました。しかし、自分が好きで続けてきたスポーツです。
引退を本気で考えたことは一度もありませんでした。苦しくても辛くても、再び立ちあがり、挑戦を続けてきました。
 アテネでの銀メダルは、もちろん、私にとって非常に大きな喜びでした。そこにはメダリストになったという以上の
意味がありました。私は本当の意味で、自由になれたのだと思います。メダルが欲しいという欲からも相手に
勝ちたいという欲からも、他の選手のほぼ倍という年齢からも解放され、アーチェリーを心から存分に楽しむことが
でき、結果をだすことができたのです。私をこの境地に立たせてくれたのは、「息子のヒーローになりたい」という
強い願いでした。人は、願い、祈ることで強くなり、一歩も二歩も前に進むことができるのではないでしょうか。私は
今、そう信じています。


     ホームへ戻る    次号へ進む