卓球 HP2周年、全力プレーで 
       〜「勝負強さの育て方」より〜
 NO.47 

2000.1.22作成

●ホームページ、開局2周年

 1月22日、このホームページをスタートして、今日でちょうど2年がたちました。速いものですねえ。

今後ともよろしくお願いします。いつまでも、「挑戦」する気持ちを忘れずに「全力」で頑張りたいと思います。

 とは言うものの、日頃から「全力プレー」をし続けているかどうか、自信ありません。

仕事が忙しいのもあるんですが、卓球の練習をさぼっている今日この頃。お恥ずかしい次第です。

 そこで、プロ野球の元阪急のピッチャー山田久志さんの「勝負強さの育て方」という本から、

全力プレーの精神の大切さが述べられている、心に残った部分を引用してみたいと思います。


 たしか昭和52、3年だったと記憶している。私は後楽園球場での日本ハム戦に好投していた。
正確なスコアは忘れたが、同点だったのは間違いない。
 同点の9回裏1死1、2塁。私は一打サヨナラ負けのピンチを迎えていた。
こうなれば「シンカー」しかない。私は併殺でピンチを切り抜けることだけを考えて投げた。
そして、注文通りの3ゴロ。快感を覚える3塁手へのゴロが、人工芝のグラウンドを転がっていった。
 島谷金二―マルカーノ―加藤英司。ボールがこう転送されれば、絶体絶命のピンチを切り抜けることができる。
 その時である。2塁手のマルカーノが1塁へショートバウンドの低投。
これを加藤がうしろへそらし、2塁走者が一気にホームを駆け抜けた。併殺が一瞬にしてサヨナラ負けである。
 私は全身から力が抜けていく、脱力感に襲われた。
 勝負してサヨナラヒットを打たれたのならまだいい。
心の中で”やった”と小さく叫んだあとに、信じられないサヨナラシーンである。
 3塁側のベンチまで歩き、着替え用のアンダーシャツが入ったバッグを持って、ロッカーへ歩いた。
 今では、東京ドームに生まれ変わったが、後楽園のベンチからロッカーまでは、低く狭い通路だった。
勝った時はいいが、負けた時にここを歩くのは、暗い気持ちがさらにユウウツになる。
エラーによるサヨナラ負けなら、もう何をか言わんや、だ。
 ロッカーに着き、スパイクのヒモを解いた。他の選手は手早く身じたくし、バスへと向かっている。
私が乗り込むまで待ってくれていることは分かっていても、私の動作はついついスローになる。
ショックが尾を引いているのである。
 ほとんどの選手がバスに乗り込み、ガランとしたロッカーの中で、私は泣きたい気持ちだった。
スパイクの土を落とすため、下のコンクリートにスパイクをコンコン、ぶつけている私の前に、
マルカーノが立っていた。
「ヤマ、スマナイ。ゴメンナサイ」
 私が外人選手の涙を見たのは、後にも先にも、これが最初で最後だった。
 20年間のプロ野球生活。私は多くの外人選手と出会った。いい選手もいたし、いい人間もいた。
全く活躍できずに祖国に帰っていく姿に、ホロリとさせられたこともある。
 そんな多くの外人選手の中で、私にとって最高の「助っ人」は自らのエラーとはいえ、
敗戦投手の前で泣いたマルカーノだったと思っている。
 マルカーノはベネズエラ出身で、昭和50年に来日した。
 バッティングとか、2塁手としての守備とか、技術的なことについては、
マルカーノが来日して阪急が「V3」を達成したことだけを書けば分かるだろう。
 私がマルカーノのことを”すばらしい”と思ったのは、
来日1年目から必死になって日本語をマスターしようと勉強していたことである。
選手である前に人間として人と人の触れ合いを大切にしようとする意思が感じられた。

 印象に残っているといえば、かつて近鉄でプレーしたオグリビーもその一人である。
オグリビーは大リーグでホームランキングにも輝いた実績を持つバリバリの現役大リーガーだった。
だいたい、こういう外人に限って、プライドばかり高く、グラウンドではチャランポランなタイプが多い。
62年1月、オグリビーの近鉄入団を聞いた時、私はチャランポランな外人だと勝手に想像していた。
 だが、グラウンドで見るオグリビーは、別人だった。
 オグリビーと直接話したことは一度もない。それでも、私はオグリビーのプレーを見ていて、カッコいいと思った。
 1塁までの全力疾走はいうまでもなく、グラウンドではいつもいつも全力プレーだった。
年齢は39歳。同世代としてハッスルプレーによるケガ、故障を心配したものだが、
ともすれば日本人選手の我々が忘れがちなことを教えてくれた。
 野球選手のカッコよさの原点は、やっぱりここにあると思う。
 ピッチャーゴロで1塁へ走る。途中でクルリとベンチへにUターン…。
若い選手にも、こんなプレーがカッコいいと思っているヤツがいる。
 大リーグの元ホームラン王が見せてくれた野球。私は、昭和63年、
近鉄がロッテとの最終戦で日本中を感動させた大健闘は、オグリビーの好影響があったと思う。
「あの大リーグのホームランキングが…」という全力プレーの精神が、
知らず知らずのうちに近鉄ナインに浸透していったのではないかと思うのだ。
 顔見知りの新聞記者に聞くと、近鉄が引き分けで優勝を逃した日、
オグリビーは「残念会」をこっそりと抜け出し、ホテルのトイレで一人泣いていたそうである。
私は改めてオグリビーを「カッコいい」と思った。


 試合で負けて、泣けるだろうか。勝てなくて、くやし泣きするほど、一生懸命取り組んでいるだろうか。

こちらは趣味の世界だから、勝ち負けはともかく、楽しんでやればいいというのも1つの考えだ。

そういうふうに逃げ道のある以上、アマチュアには甘(アマ)さがある。

逃げ道のない、生活を賭けている、ギリギリの所で勝負しているプロとは、やはり根本的に違っている。

でも、アマチュアだからといって、あきらめたくない。年も39歳だからもう遅いなんて、考えたくない。

自分なりの目標を持って、一歩一歩前進していきたいと思う。


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