| 卓球 HP3周年、自分に負けずに 〜「敵は我にあり」より〜 |
NO.56 |
2001.1.22作成
●ホームページ、開局3周年
1月22日の今日で、このホームページをスタートしてから、ちょうど3年たちました。
アクセス数も15000を越え、多くの方々に見てもらって、とても感謝しています。
いつまでも、「挑戦」する気持ちを忘れずに頑張っていきたいと思います。
ただ、昨年40歳になり、気持ちの上で、急に老けてしまったような気がします。部活動で必ず生徒と一緒に
練習しているものの、何か体が重くなったようで、事実、体重もここのところ急に増えてしまいました。
勝っても負けても、妙に納得してしまって、こんな調子では上達するはずはありませんね。
1月12日に、プロツアーグランドファイナル横浜大会の試合を見に行ってきました。やはりすごいですねえ。
世界のトッププレーヤーに比べたら、我々の卓球など、まだまだこれから。体力的には少しずつ厳しくなってくる
でしょうが、技術的にも精神的にも学ぶことがいくらでもあるので、頑張らなくちゃいけませんね。
そこで、プロ野球の阪神タイガース監督であり、生涯一捕手と呼ばれた野村克也さんの「敵は我にあり」
という本から、心に残った部分を引用してみます。
よく「第六感」などといいます。これが、勝負師として最高のものだと思う。当てずっぽうの「ヤマ感」とは違う
のです。「第六感」とは、執念のヒラメキなのです。相手を知り、己を知り、過去のデータを分析し、その状況に
合わせて「よし、これだ」と出てくる。そのヒラメキが「第六感」なのです。だから、根拠がある。
「執念のヒラメキ」と表現しましたが、「執念」というのは日常生活のすべてが凝縮されたものでしょう。研究、
工夫、練習、努力…そういったものが土壇場での執念となり、瞬時のうちに一つの答えを見つけてくれる。それを、
確固とした信念に基づいて実行に移す。それが「開き直ってやる」ということだと思います。
私は、人の三倍も四倍も練習しないとうまくなれない。心の底からそう考えていた。本当に不器用な選手だった。
カーブを打ちこなせるようになるまで、十年かかったと書きましたが、高校を出て二、三年で自在に打ちこなせる
選手が大勢いるのです。
私には、残念ながら、それができない。だからバットを振るしかなかった。夜、月を見ながらバットを振っている。
「お月さん、なんでボクに芽を出させてくれんのや」とボヤいたこともある。情けなくて涙をボロボロこぼしながら、
バットを振ったこともある。バットを振ってマメができますね、そのマメの下にもう一つマメができる。痛くて
力いっぱい握れない。それでも振っていました。辛い日はあったが、苦しいとは思わなかった。
才能豊かな選手たちを相手に、なんとかやってこられたのも、よく練習したおかげだと思います。人間は
一人前になるために、どうしても歩かなければならない道があるのです。その道程が短いか長いか、それだけの
違いではないでしょうか。私の場合は、それが他の選手より少し長かったというだけのことです。
その過程には、人よりうまくなりたいという目標がありました。一日も早く一軍へあがりたいという目標もあった。
それを目ざして歩いていたわけですから、少しも苦労とは考えなかった。野球漫画で人気のある水島新司さんも、
私と同じような経験をしています。まだ芽が出ない頃、ライバルと考えている人と同じアパートに住んでいた。夜も
画の練習をしている。「ライバルの部屋の電気が消えるまでこちらも絶対にやめなかった」というのです。お互い、
生き甲斐があったということでしょう。たとえ、他人から苦労と見えても、それが目標への道のりなら、決して
苦しくはないのです。むしろ、楽しいと感じるときさえあったくらいです。
私の野球人生は「人よりうまくなりたい」という欲求の継続だった。他の選手が五十回バットを振るなら、自分は
六十回振ろう。遠投を二十回しているなら、三十回挑戦して肩を鍛えよう。一日に一回でも多く練習すれば、
一年間で三百六十五回も多くなる。そう考えて、一日一日を過ごしてきました。
「人より、少しでもいい打者になりたい、いい捕手になりたい、いい選手になってやろう」
そう願う気持ちは、選手として、あるいは人間として最低限、必要な「欲望」でしょう。
宮本武蔵は「観見の二眼あり」といいました。対象そのものを見る眼、対象の奥を見る眼の二つです。野球も
同じで、対象そのものだけに目を奪われていては、平凡人の域を乗り越えられないし、選手としても長続き
できません。投手だけしか見えない打者、打者しか見えない投手や捕手ではダメなのです。
二十七年間の選手生活を通じ、最大にして最強の敵は自分自身でした。満足感、妥協…といったものが、
しのび寄ってきます。それを振り払い、撃退することのほうが、稲尾投手や米田投手の対戦に勝つことよりも
苦しかった。何度となく横道へそれてしまいそうになりました。脇道から引き返したこともあります。そんな経験を
繰り返しながら、いまになってみると、人間は成功すること(結果)より、努力すること(過程)に意義があるんだなと、しみじみ考えるのです。
私は、四十三年に亡くなった母に、二つの点で感謝しています。一つは、野球選手として通用する肉体をもらった
こと。もう一つは、「カツ(克也)、男は、黙って仕事をしなきゃいかんぞ」と言う言葉です。
母は、無口な女性でした。いつも黙って手順よくテキパキと働いていました。しかも、先を読んだ丁寧な仕事ぶり
でした。いつまでも、母のことを思い出すと、そんなふうに働いている姿しか浮かんでこない。その母が口を開くと、
「黙って仕事をしなきゃいかん」という話をしたものです。
ムダ口をたたかないことで、集中力が生まれます。一つのことを深く追及することも可能になります。そして、
なによりも「仕事の過程」を重視する習慣がつきました。母の言葉は、野球人としての私の背骨となっていた
ようです。
なぜ、猛練習するか。なぜ、ケガをしても試合を休まなかったか。紆余曲折を経ながらも四十五歳まで
現役生活をつづけられたのは、なぜか。それらの答えはすべて同心円の中にあります。野球人として少しでも
高い水準を維持したい―ということでした。簡単にいうと、「いい仕事をしたい」ということです。そのためには、
たえず新鮮な気持ちを維持していかなければなりません。
私は、好きだった野球を職業とすることができた。だから、まがりなりにも「いい仕事をする」のは、比較的ラク
だったかもしれません。努力などという言葉を使うのは、おもはゆい気もします。練習それ自体を苦痛と考えた
ことはなかったのですから…。
「人よりうまくなりたい」―そう思っても、今まで涙をこぼしながら練習した経験はない。人の三倍も四倍も練習
しないとうまくなれないと頭ではわかっていても、いざ実行するとなると、自分の中の弱い心がじゃまをする。
やはり、ギリギリの所で勝負しているプロとは、将棋にしても卓球にしても根本的に違っていますね。
でも、45歳まで現役を続けた野村監督のように、40歳ではまだまだ、あきらめる必要はないと思う。
これからまた目標を持って、自分に負けずに一歩一歩前進していきたいと思っています。