卓球 今年を振り返って 
        〜成功の条件は自らつくるもの〜
 NO.94 

2003.12.31作成

 早いもので、今年も今日1日だけになってしまいました。この1年間、年齢とともに体力不足に加え、部活動に

なかなか出られないため運動不足で、体が思うように動かなくなってきました。体重とウエストだけは順調?に

増え続け、75kgを超し、昨年までのズボンが履けない状態に。油断してしまいました。

 また、卓球の試合の方も、本来の力が出せずに周りに迷惑をかけてしまった場面もあり、反省しています。

来年は、しっかり練習して、元の状態に戻したいものですね。(体型も含めて)

 今現在、43歳。まあ、若い人に比べれば、体力も落ちて厳しい面もありますが、まだまだこれから。目標を

持って練習していけば、まだ力は伸びるはず。諦めずに頑張っていこうと思います。

 先日、「遅咲きの人間学 大器晩成のすすめ」(邑井操著、PHP文庫)という本を読みました。結果を残すには

自分の力で切り開いていかなければいけませんね。


成功の条件は自らつくるもの

 千成瓢箪の馬印をつくり、戦勝ごとに一つずつ加えていくという発想は、アイデアマンとしての秀吉の面目を
示した一面だが、一体何のためかといえば、むろん彼が他に自分の威勢を示す示威行動であったろう。
 彼独特の日の出を形どった兜などもそうだが、これは当時の武将連はみな敵を威嚇するための工夫をした兜を
造っている。加藤清正のあの銀三尺の長い兜など、極めて有名だ。
 身体の大きい清正が、帝釈栗毛と名づけた肥大な馬に跨り、日蓮信者らしく南無妙法蓮華経と書いた陣羽織を
羽織り、長いひげをひねり、銀色に日の丸をつけた、あの天に向かって伸びる兜をかぶり、これまた有名な片鎌の
長槍を提げて前に立たれると、敵はおじけをふるって逃げ出したそうだ。これらは全身で威嚇しているわけだ。
宣伝効果も100パーセントである。
 秀吉のおもしろさは常に華やかさが伴っていることだ。兜にしても対敵威嚇だけでなく、自分の気を引き立てる
華麗な工夫がある。日の出も兜も千成瓢もそうだ。陽気で華やかさが身上の秀吉の発想というべきだろう。
 千成瓢箪も威勢を示すものに違いないが、もう一つ見のがしてはならぬことがある。それは自らを励ますためと
いう面だ。つまり、一つ一つ加えることによって自分の気持を引き立て、一歩一歩向上を目ざす心意気なのだ。
 そういえば彼の残した言葉の中に、
「勝つ勝つと思えば勝つ」
 というのがある。これは自分の心を励ますための自己暗示だ。
 人間先のことはわからない。何事もやってみなければわからないし、その場へ来なければわからないものだ。
わからないからといって負ける負けると思えば負けてしまうだろう。心がしぼんではだめだ。わからんから悲観する
のではなく、わからんからこそ”勝つ、勝つ”と自分に言いきかせ前向きに事を処するから”勝つ”のだというの
だろう。
「先行き何の保証もない一介の草履取りの自分だが、おれは、今日よりは明日、明日よりは明後日とだんだん
良くなる人間である」
 と己れ自身の胸に言いきかせている。
 誰も彼も一小者の彼の未来を嘱望し、保証してくれるものはない。いいさ、おれはおれ自身、おれの運命を保証
すればいい。これほど強いことはないぞ。誰かが何かをしてくれやしないかと思うから、当て事とふんどしは
向うからはずれるのだ。
 彼の思案は、そういうところに落着いていた。この甘えを捨てた心的態度が、彼の行動の基本になっている。
彼の以後の前進はそこを見据えみてはじめてよくわかる。
 全国どこへいっても条件をまず言う。条件が揃わないからうまくいかないと言う。わかるけれど甘えが見える。
たしかに条件はないよりある方がいいにきまっている。だが思ってもみるがいい。自分が完全に満足できる好条件
の下にらくらく、やすやすと仕事をしとげたものが何人いるだろうか。一人もいまい。
 もし条件が完備したものが天下を取れるというならば戦国期、足利十五代将軍義昭こそ天下人たりうる最短
距離にいたのではないか。むろん信長の応援を得ての空位とはいえ、当代将軍の権威、武門の棟梁たる以上、
無双の条件下にあったはずである。なにゆえ彼が信長に楯をつき、没落の道に落ちたか?彼の器量がたり
なかったためなのだ。
 それにくらべて何の条件も持たずに生い立った尾張中村の一農村の子が、なにゆえ日本史上はじめての天下
統一を完成するという、天下取りになったのか。さらに、今川義元の下に十二年間も人質生活に沈潜していた
徳川家康が江戸幕府を開き、三百年泰平の道を開いた天下取りになったのか。
 それは彼らが極めて乏しい条件下に奮励して、自ら条件をつくり上げていったからの成果なのだ。彼らの活躍が
小気味よく人の胸をうつのはそのためだ。それを壮心というのだ。
 彼らの、他を頼まぬ自力精神の逞しさによる行動が、共感を呼び起こすのだ。
 足利義昭は頭が悪い男ではない。謀を弄するほどの頭の回転はあった。だが自らさらによりよい条件をつくって
いく器量において、信長、秀吉、家康とは比べものにならない。
 どれだけ有利の条件をつくりうるか、おれが人間の器量というものだ。
 自ら条件をつくろうとするものは、仕事についてもけんめいだ。けんめいでなければ好条件がつくれるはずは
ない。”けんめいの人に愚痴はない。”したがって彼らの仕事、事業に対する打ちこみ方は、尋常ではない。だから
こそ事は成る。
 別の面からみれば己れの立場のきびしさを心解しているから、ともいえる。
 藤吉郎と名のった青年時代―織田家の小者としての秀吉の立場はどうだったか。
 代々譜代の家臣ではない。まして重職の家の出ではない。裕福の家の子でもなく、武士としての高い教養を身に
つけたわけでもない。
 武門の出としての戦術・戦略への勉強期間を持ったわけでもない。まして織田家の縁辺ではない。明智十兵衛
秀光のごとく、朝倉家の軍師としての過去の輝かしい経歴をもって三十九の壮年期に、織田家に迎え入れられた
わけではない。いわばないないづくしの一貧乏小者あがりなのだ。どんなにその立場が、昇進するのに不利で
あり、困難であり、きびしいものであったか、彼はよく自分のその立場を噛みしめていたのである。
 全く条件不備の立場の彼は、だからこそ自ら条件をつくっていかざるを得なかった。
 このきびしさを本当に認識しなかった他の草履取りは、終生まじめに働くだけでせいぜい小者頭ぐらいで終った
に違いない。彼らは必ず「どうもいい条件がないのでねぇ」と日々愚痴をこぼしたのだろう。義昭は高い地位の
ところで愚痴り、草履取りは低い地位のところで愚痴る。心の貧しさは変わらないのだ。
 義昭にも草履取りにも利益追求の念だけは人一倍あった。己れを高めていこうという壮心に欠けていた。だから
条件がつくられなかった。
 彼らは自らの不運を歎いた。自ら幸運を引き寄せる条件づくりをする努力、精進が不足していた。うまくいくもの
はうまくいくようにしてうまくいき、うまくいかぬものはうまくいかぬようにしてうまくいかない。
 藤吉郎はものの道理のわかる男だった。だから「勝つ勝つと自己を励まし」、瓢箪の数をふやすことで自分を
励ましたのだ。自ら条件をつくったのだ。


     ホームへ戻る    次号へ進む