| 将棋 「上達の法則」 〜効率のよい努力を科学する〜 |
NO.1414 |
2006.8.30作成
インターネットのAmazonで、「上達の法則 〜効率のよい努力を科学する〜」(PHP新書)という本を見つけ、
早速読んでみました。その中に、将棋に関する記述がたくさんあったので、その部分を紹介したいと思います。
読めば、上達するヒントになることでしょう。
見え方が変わる
将棋では、王手、王手の連続で相手の王を詰めてしまうことを「詰め」と言っているが、あるレベルを超えると、
具体的な詰めの手順がわかる前に、「相手の王が詰んでいる」ことが直感的にわかるようになる。詰んでいること
を直感してから、具体的な手順を探す感じに、思考の順序が変わる。そうなると、もう少し手前の場面でも、相手の
王が詰みの状態になるまで、あと1手だとか、あと3手だとかいうことがだいたい概算でき、その概算がおおむね
正確になる。そのおかげで「手を読む」という作業に対する依存がうんと小さくなり、しかも予測がかえって正確に
なるという状態にある。その種の直感が何種類も芽生えてくることが「見え方が変わる」に該当するのである。
入門書を読む
後に「名人」という将棋界の最高峰に昇り詰めた谷川浩司氏の最初の入門書が百科事典の「将棋」の項目
だったことはよく知られた逸話である。兄弟に将棋の盤と駒を買い与えたもののルールがよくわからなかった父君
が、百科事典で駒の進みかたなどを見ながら教えたのである。
上級者はチャンクが大きい
将棋の上級者は短時間で局面を覚えられる。それは、意味の単位にしたがって局面を見るために、ひとつの
局面が7チャンク以下になって認知されるからである。将棋の初心者が局面を覚えにくいのは、40枚の駒が81の
升目にランダムに配列されている図形のようにしか見えず、7チャンクに収まりきらないからなのである。
上級者のほうが退屈しにくい
米長九段は、自宅に若いプロのタマゴを集めて、将棋スクールをしていたことがあった。誰かの一局の将棋を
中央の将棋盤に再現し、そのまわりにみんなで座り、この手はどうか、この構想はどうか、本当はどちらが勝って
いたのだろうかと、検討するわけである。一局の将棋をこうして何時間もかけて調べる。そういうことをしていると、
次第に、座る姿勢が崩れ、背中が丸くなり、アクビをかみ殺しているような若手と、いつまでも背中をピンと伸ばし、
盤面に食い入るように視線を注いでいられる若手に分かれてくる。伸びるのは、いつまでも背筋が伸びている若手
である。同じ局面を見ていても、すぐれた者と、おとる者とでは、そこから読み取っている内容が異なる。すぐれた
者は、局面から多くのものを読み取っているので退屈することがない。それで、いつまでも同じ姿勢で見ていられる
のである。
復元仮定作業ができる
テレビで将棋や碁の対局番組がある。対局後に解説者を交えて、「感想戦」と言われるものが行われる。あの
とき、別の手を選んでいたらどうだったか、などということを、話し合い、表に出なかった「読みスジ」を検討し合う
のである。それを見ていると、「あそこで、こちらの手を選んでいたらどうでしたか?」とひとりが尋ねると、たちまち
その局面に戻され、「ダメですね。そうすると、こんどはこちらに手段が生じる」などという会話があっという間に
交わされている。復元仮定作業が淀みなく行われるのである。
技能のコツを言葉(メタファ)で表現できる
将棋の故升田幸三名人は、ある人の着手が迫力を欠いていたのを「2階から目薬を差すような手」と言ったこと
があるそうだ。強烈なメタファである。
「暗算」ができる
将棋でも、上級者は、いちいち駒数を数えなくても、どちらが歩を1枚得しているとか、計算ができている。将棋
では「手ドク」「手ゾン」と言って、たとえば、2手動かした駒と3手動かした駒を交換すると、2手しか動かしていない
側が「1手、手ドクをした」という計算もするが、上級者はこの種の損得判断も速くて正確である。
直接役に立たないような知識まで持っている
将棋や碁の定跡には、現代は使われなくなった、いわゆる古典定跡と呼ばれるものがある。上級者も上のほう
に達する人は、そのようなものもある程度知っている。それだけでなく、どのようにして、インド発祥の駒数396枚
のゲームが、西伝してチェスとなり、東伝して、中国将棋、朝鮮将棋、大将棋、中将棋、小将棋、日本将棋を
生んだかなどということをある程度知っているものである。
自分なりの「美観」を持っている
将棋で負けた友人の局後の反省につきあって、「ここでくやしくても、こう指して我慢しておけば、まだ粘れた
のに」などと指摘すると、「嫌だ。そんな手は死んでも指したくない。そんな手を指すくらいなら、ここで投了する」と
いうことがままある。このように、客観的にはよくても、自分は好きではないという美観が出てくるのが上級者の
特徴のひとつである。
負けや失敗をいやがり強くくやしがる
後に将棋の名人についた谷川浩司さんは、子どもの頃、つねに自分より少し強い兄がライバルだった。その
子どもの頃の将棋駒には、谷川少年の歯形がついているそうである。自分の形勢が悪いときに、駒を噛みながら
くやしさに耐えていたというのである。
上級者はクセが少ない
私は、以前、将棋の個性である「棋風」を心理学的に研究しようとして、少年時代の羽生善治氏や、当時すでに
名人になっていた谷川浩司氏に、ロールシャッハ・テストという心理テストをやっていただいたことがある。その一環
として、大山康晴十五世名人に会ったとき、十五世名人から意外な「棋風観」をもらされたことがある。大山名人と
いえば、古今独歩の「受け」の棋風で知られ、その強靱な個性は揺るがぬ評価を確立していた。その人の口から
もらされた言葉はつぎのようなものだった。
「棋風、棋風と言われるし、私なんかも受けの棋風などと言われるこれど、私たちプロは、自分の棋風を消そうと
思って努力しているものなのです。私にしても、中原さんにしてもそうですが、調子がいいときというのは、棋風
なんか出ないものなのです。調子が悪くなってくると棋風が出ている。だから、棋風というのは、クセで、その人の
欠点につながるものです」
この言葉を聞いたときは、驚くとともに、本当の謙虚さに接した気持ちになり、感銘を覚えたものである。
練習方法が工夫できる
詰め将棋というのは、数枚の駒を使ったクイズで、攻め方は、王手の連続で玉方の王将を完全に詰めなければ
ならないものである。通常、攻め方を手前にして問題の局面が与えられているのだが、あるアマ高段者は、学生の
頃、それを上下逆さまにして解いていたという逸話が残っている。自分が攻める立場で図面を見るのではなく、
攻められる立場で図面を見るのである。その人によると、「試合の対局中に、相手の王将に詰みがありそうなとき
は短時間でピンと来るのに、自分の王将が危ないときにピンと来ずに、油断して負けたことが続いたから」という
のがその理由である。彼によると、その努力はしばらくしたら実り始め、自分の王将の詰みを見落とすことが少なく
なったそうである。
得意なものにこだわるメリット
得意なものは、自分自身のアイデンティティの形勢に役立つ。たとえば将棋で「自分の得意は穴熊戦法だ」という
認識があると、その分、やりがいが生じやすい。
また他者から「あの人に穴熊にされると、勝ちにくい。あの人と対戦するには、速攻に限る」などと言われるように
なると、まわりの人から見ても、自分と対戦する楽しみが大きくなることになるし、また、自分自身にとっても、さらに
練習しがいがあるという状況が生まれるのである。
ノートをとる
将棋などは、棋譜といって、自分と相手の指し手をすべて記録することが可能である。二段くらいになれば、自分
の指した将棋は、翌日でも覚えているものである。そのときに棋譜をノートにとって残しておくべきである。いまは、
それ専用のコンピュータソフトもある。棋譜があれば、自分の経験を追体験できる。大事な対局なら、日が経って
からのほうがくやしさがつのることすらある。勝った将棋なら、得心の一手をみつけたときの興奮がそのまま
よみがえる。相手がこう来たら自分はこう、自分はああ応じる「読み」だったのだと、実現しなかった変化にまで
思いを馳せることができる。負けた将棋も、ここでこう着手したら勝っていたのではないかなど、そのとき考えた
何倍もあとで考え直したりする。こういうプロセスで、一局の対局でも、経験としての深さを何倍かに深めることが
できる。それも棋譜がノートにあればこそできるのである。
理論書を読んで、弁別力を高める
将棋では、歩という最小の駒1枚の差が大きな差だとわかると、だいたい中級者である。中級者になれば、
歩1枚の差がしばしば勝敗そのものを左右することはあたりまえのことと理解できる。それに加えて、「手ドク」
(手の効率上の得)の重要性が認識できると上級者に近づく。初心者どうしの対局では、両方が角道を開いた後で
いきなり角を交換するということがしばしばあるが、これを上級者がしないのは、この角交換が「手ゾン」になるから
なのである。
精密練習で要求水準が高まる
将棋が二段の人でも、得意戦法では四段に勝つことがあるかも知れない。接戦になることはありそうだ。うんと
上位の人と接戦になるようなことがあり、また、得意が周りの人にも認識されるようになると、得意分野で養われた
要求水準が、やがて全体の要求水準をあげることにある。それがさらに深い自我関与を生む。
イメージ能力を大きくするトレーニング
将棋には、目隠し将棋という鍛錬法がある。盤や駒を用いず、「いくよ。7六歩」「3四歩」「7五歩」…というふう
に、会話で指し手を進めて対局をするのである。局面が進んでいくと、次第に局面のイメージがぼやけてくるが、
アマ三段くらいの人なら、この方法で対局を最後まで進めることができる。非常に疲労するし、局面の記憶のため
にワーキングメモリが使用されるので、その分、手を考える作業がしにくくなり、ゲームとしての将棋のレベルが
下がってしまう。それでも、目隠し将棋をしばらくすると、あるときから、ふつうの対局が圧倒的に楽になることが
ある。それは、イメージを維持するために、コード化システムの統合がさらに進むからである。
このほかにも、ふつうは本の局面を見ながら考える詰め将棋を、いったん問題を覚えて、本の局面を見ない状態
で考える訓練をするのは有効である。疲労度は強いものの、ワーキングメモリを相対的に大きくすることができる。
達人のスキーマにふれる
将棋や碁なら、駒落ちや置き碁で、高段者の対局指導を受けてみる。そうすると、技や発想の大きさ高さが
まったく異質であることがわかる。そのうえ、局後に具体的に誤った着手や発想を教えてもらえる。自分の発想が
異次元に飛躍するきっかけになることが多い。
達人と直接会う、話す
将棋の強い人は、アマチュアでも、競技会の前日から、水などを飲む量を控えるようにする人が多い。競技会
では、対局者が考慮時間が同じになるように対局時計を使っていることが多く、対局中に手洗いに行きたくなると、
競技に不利になるからである。このようなことは、実際に上級者、超上級者を見なければわからない苦心である。
いつだったか忘れたが、正月の将棋番組に、木村義雄十四世名人、大山康晴十五世名人、十六世名人の襲名
が決まっている中原誠名人の3人が鼎談していたことがある。そのなかで司会者から「健康の秘訣はなんですか」
と尋ねられた3人の答えが一致していた。
「将棋に勝つこと」だったのである。
それには、その番組を見た他のプロ棋士の多くも唸ったらしいとあとで聞いたが、その3人の勝負に対する執着
の強さがよく出ていて、考えさせられる。
達人のエラーに学ぶ
たとえば、「守りの大山」と恐れられた将棋の故大山康晴十五世名人は、自分の攻めの速度を速く見誤るミスが
多いと言われる。
このことは、じつは、大山名人の将棋が攻撃型の将棋を基礎的な枠組みにして発達していることを物語っている
のかも知れない。この点、やはり「守り」の棋風で知られた故森安秀光九段とは、かなり異質ではないかとも考え
られるのである。
他者の個性を記述してみる
将棋や碁で他者の戦いぶりを見ると、どういう発想で考えるとそんな手を着想するのだろうかと思うことがある。
そういうときに、その局面をその人と同じ立場になって考えてみる。そうして考えているうちに「ああそうか!」とその
人の感覚がわかることがある。そういうことを繰り返していると、こんどは、それとは異なる仮想場面や、あるいは
自分がある局面を迎えているときに、「あの人ならこうするだろうな」と想像できるようになる。そうするとその分だけ
自分のコードやコードシステムが広がったことになるのである。
コードシステムの高度化
たとえば、将棋や碁のコードシステムのひとつに、「手割り計算」というものがある。局面Aと局面Bの優劣を決め
なければならないのに、このふたつの局面の比較がかなり難しいとする。ふたつの局面の見かけの類似度が
あまり高くなく、直接比べるためには、40枚の駒の損得、位置を丁寧に見比べる必要があるとするならば、
7チャンクでは難しい判断だということになる。けれども、たとえば、ある仮想局面Xを想定して、局面Xからある
手順aを経ると局面Aになり、同じ局面Xから別の手順bを経ると局面Bになることが想定できるとする。そうすると、
局面Aと局面Bを比べるかわりに、手順aと手順bを比べて、手順aは互角の進展なのに手順bには、あきらかに
後手に悪い手があるとするならば、局面Bのほうが局面Aよりも後手不利の局面であると考えることができる。この
ような判断方式をとると、移調や参照の組み合わせで、7チャンクで処理できない課題を7チャンクで処理可能な
課題に置き換えることができるのである。駒の価値を比べるかわりに手の価値を比べるので、「手割り計算」と
呼ぶのである。
スキーマと個別技能のギャップ
将棋の例をあげよう。スキーマが発達してくると、ある局面を見たときに「敵の王は詰んでいる(王手、王手の
連続で詰ませられる)」と直感でわかることがある。それはスキーマの働きである。ところが、いざその局面を
目の前にして、具体的に、ではどのような手順で詰めるのかという、詰め手順の発見になると、みつからない。
たとえば、その詰め手順が長いと、先の局面がはっきりイメージできなくなったりすることもあって、みつからなく
なるのである。この場合、先の局面がはっきりイメージできないというところが個々の技能の不足ということになる
のである。
こういう状態のとき、成績が落ちる。中盤で無数の変化のなかから着手を取捨選択しているときには、「局面Cに
なれば、相手の王を詰ませることができる」とスキーマを用いてとりあえず判断している。局面Cになったときに
自分が負けることに相手が気づかず、本当に局面Cになったときに、詰ませる手順がみつけられないということに
なると、せっかく勝つはずの局面に導いているのに、そこで誤った着手をして負けるという事態を迎えることになる
からである。
自分の鑑賞眼と技能のギャップ
将棋でも、アマ四段くらいになれば、プロの対局を見て、なにが問題で、どこが争点だというようなことはわかる
から、それを味わい、プロの底知れぬ強さに酔うことができる。プロの技術から学ぶことはあっても、自分と直接
比べるようなことはない。ところが、アマ六段くらいになり全国レベルや県レベルでトップクラスを争うような人になる
と、プロの力量にも接近しているし、また、自分がなかなか勝てない現実のライバルの強さも正確に認識している。
そのような状態で、自分はある点がどうしても克服できないと思ったりすることは、深刻な欲求不満をもたらす。
上達を極める10のステップ
@反復練習をする
A評論を読む
B感情移入をする
C大量の暗記暗唱をしてみる
Dマラソン的な鍛錬をする
E少し高い買い物をする
F独自の訓練方法を考える
G特殊な訓練法を着想するプロセス
H独自の訓練から基本訓練に立ち返る
Iなにもしない時期を活かす