将棋 「後手という生き方」
        〜「先手」にはない夢を実現する力〜
 NO.1500 

2007.9.3作成

 この将棋の部屋も、1500号に到達しました。先日、ようやく16本目のソフト「東大将棋 四間飛車道場」を約半年かけて調べ終えたところで、

これから手持ちの残りのソフト4本分を調べていこうと考えています。そんなわけで、もうしばらくの間、続けるつもりでいます。

 さて、これもインターネットのAmazonで、『後手という生き方 「先手」にはない夢を実現する力』(瀬川晶司著)という本を購入しました。

61年ぶりのプロ編入試験で、プロになるという夢を実現した瀬川さん。将棋界に限らず、世の中に夢と勇気を与えてくれた瀬川さんの言動に、

学ぶことがたくさんありました。その本の中から、大変参考になった部分を少し紹介したいと思います。


●夢は声に出してこそかなう

 退会以後、駒を持つこともなかった私に大会に出て将棋を指すきっかけを作ってくれたのは将棋仲間からの誘いだった。
「久々に将棋を指してみようかな」。そう思って軽い気持ちで大会に出場した。指してみると昔のように思うようにはいかないが、負けても奨励会時代
のような絶望感に襲われることもない。
「将棋はやはり楽しい」。子供のころの純粋に楽しんでいた気持ちが再び自分の中に湧いてきた。いつしかアマチュアとして試合に出ることを繰り
返すようになり、私の将棋に対する思いは再び強くなっていった。
 アマ名人、アマ王将と相次いで全国タイトルを獲得し、アマチュアの参加枠がある公式戦、銀河戦で好成績を残すこともできた。短時間のテレビ
対局とはいえプロ相手に7連勝し決勝トーナメント進出を果たしたり、A級八段のトッププロから白星を挙げたり、自分でもびっくりするくらいの成績を
数年にわたって残すことができた。対プロ戦の成績が7割を超えるようになり、プロ編入の話が持ち上がった。
 とはいえ太平洋戦争中の61年前にプロ試験が実施されたころとは時代が違う。戦後の将棋界には奨励会を経ずにプロになる制度はなく、その
奨励会の年齢制限を超えた34歳の人間がプロになる可能性は限りなくゼロに近かった。
 その可能性をゼロでなくしてくれたのは周囲の応援だった。「あいつに試験を受けさせてやろう」と思って多くの人が行動してくれた。それは私が
「プロになりたい」と声に出したからだ。夢は自分の心の奥にしまっておくだけではなかなか実現しない。声にすることによって自分のおかれている
状況も変わってくる。
 アマ強豪やプロ棋士のアドバイスを受け、将棋連盟に嘆願書を出すという形で「門を叩いた」結果、半世紀以上も微動だにしなかった「開かずの
扉」が開かれた。プロ棋士の投票によって特例で61年ぶりのプロ編入試験が決まったのだ。
 試験内容は6人の試験官相手に3勝すれば合格、4敗したら失格というものだった。これまでのアマ大会で経験することのなかったプレッシャーに
苦しめられながらも、私はその試験に3勝2敗で合格し、プロになることができた。35歳の「新人」はもちろん将棋界最高齢である。

●執念の差がプロの証

 プロとして半年あまり、公式戦の経験を重ねることにより、アマとの違いを痛感している。プロになりたてのころは、アマとの一番差がある部分は
序中盤だと思っていたのだが、これはとんでもない間違いだった。
 序盤は研究を重ねることにより知識を増やしていくことが可能で、中盤も実戦経験を多く積むことにより、いろいろな戦いのパターンを学ぶことが
できる。だから将棋に接する時間が多いプロとアマチュアの差が大きく出るのはこの部分のように思われるが、実際は「勝つことにかける執念」が
プロとアマは全然違う、桁違いなのだ。
 私はふだんの研究会でアマチュアともよく指しているが、このときプロを相手にするのと比べるとアマチュアに勝つほうが楽に感じる。その理由は
技術的な部分ではない。実力的にプロと遜色のないアマチュアでも、最後に勝つか負けるかのギリギリのところで、こちらに少しだけホッとさせて
くれるところがある。プロと対局するときは最後の最後、勝ちきるところまで安心できない。どこまでも逆転の可能性を持った手を狙っているのがプロ
なのだ。
 早く負けてしまうくせのある人は、その人にとっては負けを認めてしまうことで早く楽になれるというところがある。生活のかかっていないアマチュア
のほうが、早く楽になりたいと考えるのは無理もない。生活がかかっているプロは勝たなくてはならないということが体の芯まで染み付いている。
「プロはあきらめが悪い」のだ。技術的にはプロに近いアマでもどこかに趣味の部分が残っている。大きな違いではあるが、それがアマチュアのよさ
でもある。


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