| 将棋 「ボナンザVS勝負脳」A 〜プロ棋士はこう考える〜 |
NO.1503 |
2007.9.25作成
前回の続きで、「ボナンザVS勝負脳 ―最強将棋ソフトは人間を超えるか」(保木邦仁、渡辺明著)という本からです。機械の思考と人間の読み
の違いなど、興味ある内容がたくさん書かれていますが、中でも第4章「プロ棋士はこう考える(渡辺明)」が大変ためになりました。そこで、この本の
第4章の中から、少しだけ紹介したいと思います。興味を持たれた方は、ぜひ買って読んでみて下さい。お薦めですよ。
●読みの三要素
プロ棋士はどのようにして手を読むのだろうか。
私が手を読むとき、他の多くのプロもそうしているように、見えた手を1つ1つ検証していく。そして数手、あるいは数十手先の局面を想定し、より
よいものを選択して次の一手を決める、というのが手順である。
ところが、その日の調子に左右されて、ダメと判断した20手先の次の一手が見えなかったためにその手順を選ばず、結果的に勝機を逸すると
いうことはよくある。コンピュータが読みの絶対量で勝負しているように、人間も読みの力と実力が比例してくるともいえる。
読みの力というのは量と深さと正確さの三要素に分類できる。三つの要素はそれぞれ密接に関連していて、量を多く読めば読むほどひとつひとつ
の正確さは落ちてくる。読みの全体量をカットできれば、残された少ない選択肢の手だけ深く読めばいいので、正確さは高まる。
晩年は「ほとんど読まずに感覚で指していた」という伝説のある故・大山康晴十五世名人の場合、最長の経験である程度ダメな手といい手が
わかっていたから、読まなくても済む手は初めから切り捨てることができたのだ。先が予測できていれば、読みの深さもそれほど必要ない。最初の
段階から正解に近い手しか読んでいないし、読まなくても正解に手がいくという境地に達していたのだろう。これが一般的に言われる「大局観が
いい」「大局観に明るい」ということだ。
私が実際に手を読むときも、目に付いた全部の選択肢を読むことはしない。公式戦の持ち時間は限られているので、すべてを読もうとすると、
正しい手に対して10分しか費やせないことがある。割り切って最初からダメそうな手を捨ててしまえば、正しい手に20分、30分と時間を投資して、
そのぶん正解と思われる手を一手でも深く読める。
●無駄な考えを捨てる
選択肢を切り捨てる基準は選択肢の数、局面によっても違ってくる。3つ候補があったらひとつを何分で切り捨てるかが勝負だ。未練を持って
読み続けているとどれも中途半端になるので、どこを捨てられるかが実力といっていい。
5つも6つも候補手があるときはどうするか。それでもひとつに絞らなければならないことに変わりはないので、考える順番が大切になってくる。
最初に考えた手がよさそうだったら、もう他の手を読まずに「この手で多分大丈夫」ということができるけれども、その手を最後に読んだら同じ正解
を指すにしても時間の消費が変わってくる。それも実力のうちだ。そもそも読むという行為は、結論が見えないからするもので、人は先が見えないと
次の手を指すことができない。
では、一体何時間持ち時間があれば納得のいくまで深く読んで、最高の内容の将棋を指すことができるだろうか。
私の考えではあまり長い時間は必要ない。ある程度から先は何時間考えてもわからない、全部を読むことはできないのである。
決断の速いほうだと自覚している私でも、勝負どころの一手に2時間考えることはある。ただしそれ以上、3時間、4時間も考えたとしても、それは
読んでいるのではなく、迷っているに過ぎない。
読んでも読み切れないものをわかろうとすることがそもそも無理なのだから、現在の2日制8時間あるいは9時間の持ち時間があれば、人間の
能力のベストに近い内容の棋譜が残せるはずだ。
持ち時間の極端に短いテレビ将棋の場合でも、基本的な読みのプロセスは同じである。30秒の秒読みの最中で5つの選択肢があったら、見た
瞬間に3つは捨てる。そうして残りの2つを読む。30秒しかないので10秒ずつ読んで、残りの10秒でどちらにするか決める、これが30秒将棋の時
の思考法だ。
ダメな手を消すことも重要だし、正解に近い手から読むことも重要である。どの手から見えるかというのはその人の大局観で、力のない人は
間違いの手から順に消去法で読んでいくので、30秒では読み切れず、正解にたどり着く前に、ダメと知りつつ悪手を指してしまうのである。
コンピュータのようにしらみつぶしに、読める範囲にあるすべての手を読む、ということは人間にはできない。だから無駄な手を読まず、どう捨てる
かが大切になってくる。読めないから読み筋を絞る、全部を読もうとすることは非効率的で、無駄な読みをいかに早く捨てるかが勝敗を分けるカギに
なる。
●「読み」以上に必要なもの
余分な手を切り捨てていく場合、いい手、悪い手という以前に、自分が嫌いだと思った手ははなから読まない。嫌いな手というのはその手自体が
悪手というわけでなく、その後に予想される展開が、自分の好みに合わないということである。
嫌いな手、私の場合は受け身になる展開は好まない。タイトル戦の感想戦でも「この手はどうですか」と聞かれ「それは好みじゃないので
考えません」と答えたこともある。周りからはそっけない返事のように思われただろうが、私の本心である。
もちろん相手もプロだからこちらの嫌がる手をやってくるので、受けに回らざるを得ない状況になるということはある。そうしたときでも受けることに
よって駒を蓄えて将来反撃が狙えるような「楽しい受け」を目指すようにしている。
反対に受けても受けても報われない、相手の玉が堅くて金銀を一杯もらってもすぐに使えそうにない展開が予想されるときは少々無理気味でも
「先に攻めてしまえ」ということになる。
このあたりの駆け引きは対戦相手によっても変えているし、変えていかなければ勝率も上がらないと私は確信している。受けの苦手な人に対して
は先に攻める事を重視するし、受けが得意で攻め足の遅い人に対しては、こちらもじっくり攻撃態勢を整えてから開戦する。
戦型もできるだけ相手の苦手とするものを選ぶ。いつも同じことばかりやっていて高い勝率を挙げている人は今の将棋界にはほとんどいない。
ルールの範疇なら相手に嫌がられることをやっていかなければ勝負に勝つことはできない。