| 将棋 「人生の大局をどう読むか」 〜勉強の成果は忘れたころに〜 |
NO.1517 |
2007.12.21作成
先日、BOOKOFFに行って、単行本をたくさん買い込んできました。その中に、「人生の大局をどう読むか」(藤沢秀行著、三笠書房)という本が
あったので、早速読んでみました。囲碁と将棋の差はあれど、盤上に人生を刻む勝負師が語る「生き方の極意」が書かれており、また独特の
おもしろい文章で読みやすく、大変勉強になりました。勉強法についての部分があったので、少し紹介したいと思います。
「勉強の成果」と「天災」は忘れたころにやってくる
●手取り足取り教わるのがいいか、自分でコツコツ勉強するのがいいか
棋聖位を保持していたころ、何かの席で知人にこう言われた。
「毎日、酔っぱらっていても、棋聖は獲れるんだから、いい商売だねえ」
悪気はなかったのだろうが、私は、いささか憮然として答えたのを覚えている。
「私は酒も飲むけれど、碁の勉強でも、誰にも負けませんよ」
私は、けっしてハッタリを言ったわけではない。浴びるほど大酒を飲んでも、碁の勉強は忘れなかった。日に1回は、盤に向かっていた。
林君などは、その最大の被害者かもしれない。夜、酒を飲みながら、林君の最近の打碁を並べはじめる。ここはこうではないかという手に
ぶつかると、夜中だろうがなんだろうが、林君を電話で叩き起こして、意見を聞いた。たいてい、こちらは酔っぱらっているのだから、まことに迷惑な
話である。
胃の手術をしてからは、酒を断ったので、さすがにそんなことはなくなった。一番ほっとしているのは林君かもしれない。
私は5歳のころ、1人で碁を覚えた。日本棋院の院生になってからも、誰かに教わった記憶はほとんどない。もっぱら独学で通した。
入段してからは、今、考えても、よく勉強したと思う。古今の名人上手の棋譜を、片っ端から並べた。その際、解説は無視して、一石一石の意味
を、自分で納得できるまで考えた。答えを見ないのだから、時間もかかる。1日せいぜい十局くらいしか並べられなかった。
碁にかぎらず、芸事を習う場合、師匠に手取り足取り教えてもらうのがいいか、自分でコツコツ勉強するのがいいか、これはむずかしい問題で
ある。たぶん、習う人の性格によって、効果も違ってくる。私の場合、たまたま独学になったようなものだが、私の性格に合っていたと思う。そのころ
から、碁は自分で考え、工夫するもの、という習慣が身についた。
たしか三段時代だったと思う。木谷実先生の旅行のお供をしたとき、こう言われた。
「藤沢君、呉清源だって、みんな自分で工夫して強くなったんだよ」
この一事が、いまだにたいへん印象に残っている。
そのころは、年がら年じゅう碁のことばかり考えていた。街を歩いていて、頭のなかから碁盤が離れない。プラットホームの端まで来たのに気が
つかず、そのまま線路に落ちてしまったこともある。交差点で、赤信号なのに飛び出そうとして、そばの人に袖を引っぱられ、危うく命拾いしたことも
何度かあった。電信柱にぶつかるくらいは日常茶飯事の部類に属した。
もっとも囲碁界では、この手の話はさして珍しくない。なかでも傑作は、鈴木為次郎先生の話だ。碁のことを考えながら歩いていたら、馬の尻に
ぶつかり、「失礼しました」と丁重に詫びたそうだ。その話を聞いて私は笑い転げたが、あまり人のことを言う資格はないらしい。