将棋 やるしかない 
        〜「運を味方にする達人」より〜
 NO.654 

2001.9.25作成

 プロは、やはり違う。前回の谷川浩司九段の本からも、そう感じました。プロになるまでの努力は、並大抵のもの

ではなかったと思います。数々の修羅場を通ってきたプロと、将棋が好きでやっているアマチュアとでは、違って

当然ですよね。でも、将棋で生活をしているプロに、気持ちの上だけでも見習って近づきたいと思っています。

 先日のNSNプロ・アマオープンでの負けは、自分の力のなさを実感しました。そこで、これから出直す際の

心構えについて、「運を味方にする達人」(中谷彰宏著)という本から、参考になる部分を引用しながら、

考えてみたいと思います。


一番成長するのは、恥をかく機会をたくさん持つことだ。

 恥をかくというのは、実力もないのに、実力以上の場所に出るということだ。実力に見合った場所をうろうろして、
実力以上の場所に出て行かなければ、確かに恥をかくことはないが、いつまでもそれ以上の実力はつかない。
自分の実力以上のところへ出て行って、実力の違いを見せつけられて、コールド負けしてみる。思い切り恥をかく
ことだ。なんと自分には実力がないのかと思い知ることができるだろう。恥をかいた瞬間に、もう君の実力は伸び
始めている。

―そうですね。失敗を気にせず、どんどんチャレンジしていかないと。

量は質に転換する。天才は、質と量を兼ね備えている。

 訓練においては、まずは量だ。なんだかんだ理屈を言ったって、量の多いやつにはかなわない。デッサンを50枚
しか描けない人と、500枚描いてもまだ止めようとしない人では、エネルギーが違う。ひたすら描き続けたゴッホ
は、炭鉱労働者のような筋肉質の腕をしていたという。質なんて、最初はみんな零点なのだ。質は主観の問題
だが、量は、誰が見ても多いものは多いのだ。量は、あるとき必ず質に転換する。そして、量が質に転換して、
普通の人は量をこなさなくなる。量が質に転換しても、まだ量をこなし続けるものを天才と呼ぶ。手塚治虫を見よ。

―理屈より、勉強量を増やすしかないですか。

わからなくても、先へ進めば、わかるようになるから、どんどん進む

 わからないといって、わからないところにとどまって、うんうんうなってる人がいる。わからないところがわかるまで
先に進まないというのでは、時間の無駄だ。わからないところがあっても、気にしないでどんどん先に進む。難しい
本では、難しいところは誰にだって難しいので、先に進めば、手を替え品を替え解説してくれているのだ。進むうち
に、なんだそういうことだったのか、と突然わかるものだ。密教的学習では、知識の積み重ねで、じわじわわかる
のではなく、ぱっと閃くように理解できるのだ。まず飛び込む。

―何も考えず、まずやってみるしかないですか。

壁を通り抜けるには、思い切って飛び込むことだ。

 一見、壁に見えるものでも、実はそこには何もないことが多い。離れて見ているから、壁に見えるだけなのだ。
触ってみると、壁の感触があるかもしれない。でも、思い切って飛び込んでみると、不思議なくらいすーっと通り
抜けることができる。壁に見えるのは、目の錯覚でしかないのだ。それと同じように、断崖絶壁も目の錯覚でしか
ない。足を踏み出してみると、道がある。断崖絶壁に見えたのは、うまく描かれた絵だったことに気がつく。僕たち
の周りは、妖精が仕掛けた錯覚の障害物でいっぱいだ。

―あきらめるのは、まだ早い。以外に差がなかったりして。

「自分に才能があるかどうかわからない」と言ってるような人には才能がない。

 「自分は天才だ」と思い込んで、頑張ってる人の中で、一握りの人間が成功していくのだ。なのに、「自分に才能
があるかどうかわからない」などと牧歌的なことを言ってもたもたしている人間には、入り込む余地などない。
「でもやってみなければわからない」と君は言う。才能があるかどうかわからないから始められないのは君自身では
ないか。自己矛盾を起こしていることに気づかないこと自体、君には才能がない証拠だ。幸か不幸か「君には才能
がない」と言ってくれる人に出会わなかったのだ。ぐずぐず言って始めようとしない君には、才能はない。才能とは、
スタートする力のことなのだ。

―さあ、始めることとしますか。


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